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どんな映画を作るのですか?というお尋ねをいただいて

ネパールに映画を撮りに行きます、映画を作りますと言ったまま、どんな映画になる

のか、きちんとお伝えするお約束をしながら、まだできずにいました。

わたしには不思議な記憶があるのです。今となっては夢だったのか、それとも実際の

記憶なのかはわかりません。それは、本当に奇妙な記憶なのです。

私が二つに分かれたがっている。そして、分かれていく。そんな不思議な記憶です。

そして、そのときの感覚は、今もありありと思い出せるのです。

たとえ二つにわかれても、四つにわかれても、大丈夫なのだと私は知っていたように

思います。

どんなに分かれても、私はバラバラにならず、みんなひとつで、大丈夫だということ

を、わたしはその時に知っていて、すごくすごく幸せでした。思い出すたびに、私は

幸せな気持ちになります。それが、わたしの一番古い記憶です。

そして、それは細胞が記憶をしているように、私には感じられるのです。

大人になってからも、その不思議な記憶について考えることがあります。それは、わ

たしの始まりのときの記憶だろうか?生物の始まりのときの記憶だろうか? それと

も宇宙のはじまりの時の記憶だろうかと、そんな突拍子もないことを考えるのです。

11年前にネパールに行ったときに出会ったギータちゃんは、ネパールには、なんと

カトマンズの人口よりも多い数の神様がいるのだと教えてくれました。

「人も牛も蛇も山も土も空気もみんなみんなこの世の中にあるものは、みんな神様だ

からね」というギータちゃんの言葉がとっても懐かしく、私は、たったひとつから全

てが分かれていて、最初のひとつがすべてのものになって、受精卵が大きくなって、

たくさんの細胞になっても、全部がうまくいくように、最初のひとつが、すべてにあ

る。神様はすべてにあるんだなあ。ああ、ここに本当のことがあるんだと思ったので

す。

そして、寺院へ行ったときに、インドの様式である仏塔が建っていたり、ヒンズー教

の神様の象が立っていたり、ヒンズーの建物があったりするのです。そのことについ

て、ギータちゃんはとても素敵なことを言いました。

「ネパールでは、いろいろな宗教があります。仏教の人、イスラムの人、キリスト教

の人・・人数は少ないけれどいます。けれど、ヒンズー教の人が、仏教の人やキリス

ト教の人を否定したりはしないのです。私が日本に行くとして、タイを通っていって

も、インドを通っていっても、飛行機で行っても、船で行っても、最後には日本につ

きます。本当のことはひとつだから、道筋は違っても、同じなのです」宗教は、本当

のことにたどりつく道筋だよって。そして、生まれることやなくなることについても

教えてくれました。

私はネパールが大好きになりました。もう一度出かけて、みんなひとつで、私はあな

たかもしれないし、野の花かもしれない。みんな仲良く本当は生きていけるというこ

とを、いっそう実感したいと思いました。そしてそんな映画をつくれたらなと思って

います。大好きなネパールが地震になって、おつらい思いをされている方がたくさん

おられます。

地震の映画とは思ってはいません。でも、大好きなみんなと、同じ空の下で同じ月を

みながら、大好き大好きと言って生きてけるといいなあ、そんなことが溢れるような

映画が作りたいなと思っています。

そして、宗教も人種もみんないろいろでも、本当はひとつ。たとえば争うということ

は、目が手を攻撃したり、足が手を攻撃したりするようなものなんだなあと思いまし

た。争う必要はなくて、みんなが、お互いを思いあって生きて行くことができるはず。

そして自分のことも大好きでいたいと湧き上がるように思える映画を作りたいです。

しっかりと説明すると言いながら、こんな漠然とした言い方でごめんなさい。でも、

行けば必ず、映画がなっていくと、私信じています。


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