
特別支援学校に長くいて、子どもたちが教えてくれたことは、意識がないように見えても、実は、すべての人に思いがあり、全部わかっているし、聞こえているし、見えているということでした。そして、もうひとつは、人間の体や脳にはものすごい回復力があり、あきらめなければ思いは伝えあえるし、きっと回復していくんだということでした。それは、間違いがないことだと私は思っています。
ところが、残念なことに、それはまだ、一般常識ではないのです。私は、情報がないために、知らないというただそれだけの理由で、思いが伝えあえなかったり、回復をあきらめなければならない方がおられることが嫌なのです。
どうかみなさんのお力で、「白雪姫プロジェクト」をすすめていただきたいです。そして、みんなが笑顔でいられますようにと心からお祈りしています。
山元加津子

白雪姫プロジェクト応援団メッセージ
JR福知山線の脱線事故で脳挫傷を負って、植物状態は免れないと思われた鈴木順子さんは、半年以上の意識を失った状態の後、奇跡的な回復を果たします。
脳幹出血で、今までほとんど回復の例がないような大きな出血をして、一生植物状態だと思われた宮田俊也さんも、今では口から食事をとり、車椅子を漕ぐ練習を始めています。
順子さんのお母さんのももこさんは、「人間の心や思いは遺伝子の働きを活性化する」という僕のラジオを聞いて、それが本当なら、自分の愛は必ず娘に届くはずと「必ず治る」と信じきったそうです。
宮田さんの親友の山元さんもまた、 「絶対に大丈夫」と信じて リハビリを続けたそうです。
順子さんと宮田さん、お二人に共通したのは、 必ず回復するんだと信じる心、 声をかけ続け、肌もふれ続け、励まし続ける。
『やれることはなんでもやる』
というその思いと祈りが、 遺伝子をONにしたのではないかと僕は思います。人間の遺伝子にはものすごい可能性があります。
回復を信じて祈り、愛を持って接することで、遺伝子のスイッチがONになる、僕はそう信じています。
今、病床に長くおられる多くの方が、回復されることを祈り、この白雪姫プロジェクトを応援いたします。
村上 和雄

偲いより成る
2009年宮ぷーさんが脳幹出血で倒れたときに、かつこちゃんから電話がありました。
かつこちゃんは、僕に「どうか助けてください、先生」と言うのです。「どんな状態なの?」と尋ねると「瞳孔も開いているし、息も自分ではしていません」と言うのです。
そのとき僕は「天が一番いいようにしてくださるよ」と言いました。けれど、かつこちゃんは「先生、それでは嫌なんです。どうしても生きて欲しいのです」と泣くのです。
そのときに、僕は「それでは、一緒に祈りましょうね」と言いました。
そして、今、どんどん回復されている宮ぷーさんの様子をうかがう度に、思いがあれば、きっと成っていくのだと感じています。
汝の想いを清めよ
汝の願いを高めよ
汝の祈りを深めよ
一念透徹すれば
天地も動く
この白雪姫プロジェクトも、強い偲いできっと成っていくことを信じ、僕も心から応援をさせていただきます。
財団法人伊勢道場 中山靖雄

意識がないと思っていた人たちにも、耳が聞こえ、その内容を判断できるとしたら、皆さんはどうなさいますか?
きっと、その方に聞こえていると考えてお話ししたりするのではないでしょうか。
脳が半分機能していないと考えられていた方も、実は耳は聞こえて、そして色々考えていたという事例が徐々に増えてきています。
きっと、私たちは勝手に分かっていないんだと思っていた世界とは違う世界があることを、まだ私たちは知らないだけなのかも知れません。
そんな私たちの常識を打ち破るような愛にあふれた白雪姫プロジェクトを、心から応援いたします。
池川クリニック 池川 明

これまで、回復に時間がかかったり、方法論も確立されていなかったために、医学的に回復困難とされてきた患者さんは、日本だけでも何万人もいると言われています。
回復のための看護やリハビリが行われていなかったために意識障害が残る患者さんが、人間らしい生活を再び獲得し、生活の質の向上を目指すことができる専門家による緻密な計画による安全なプログラムがあります。プログラムによってレベルはさまざまですが、回復する例も多くなりました。
食事や車いすでの散歩、排せつも時間通りにできたり、何らかのサインでコミュニケーションもとれるようになることは、その人がまたその人として生き直していく瞬間のように思います。
ぜひ、この方法が一般的になり、多くの方が回復していかれることを、願っています。医療関係者のみなさんや多くの方々に、回復する方法などを、広く知っていただきたいと願っています。
紙屋克子

船戸崇史
船戸クリニック 医師 船戸崇史
宮ぷ―は奇蹟的(と、言っちゃ駄目ね・・(^^::)に回復し、信じる気持ち、宅信する事の大切さを見せてもらいました。口で言えてもなかなか実行出来るものではありませんが、白雪姫プロジェクトを応援しています。
医師 船戸崇史

私のところにも、宮ぷーと病気は違うけれども、周囲とまったくコミュニケーションのとれなくなってしまった子が来ます。
緘黙(かんもく)の子、引きこもりの青年、昏迷状態の患者さん、犯罪を犯した少年。でも、そういう人でも、思いを込めて心の扉にノックを続ければ、きっとその気持ちは伝わるし、その扉が開かれた時には、驚くほどのたくさんの思いが溢れ出してくるんだ、ということを、宮ぷーとかっこちゃんを通して感動的に教えてもらいました。
植物状態にあっても、コミュニケーションを取る方法はちゃんとあるということ、人のいのちにはすごい力があるということ、まだまだ知らない人ばかりです。
少しでも多くの人にそのことを知ってもらえるよう、私も、白雪姫プロジェクトを心から応援します。
精神科医 真生会富山病院心療内科部長 明橋大二

無限の可能性
人は皆、無限の可能性を持っていると言われていますが、多くの人はそれを知る機会が少ないようです。
僕は1974年から寝たきりの生活をしている人を起こすために、その人に合った椅子や車椅子を個別に作ってきました。この仕事を通して人間の可能性を垣間見ることができました。
例えば当時3歳のKくんです。水頭症でしたが手術がうまくいかず、結果的に頭囲が90センチを越えた寝たきりの子でした。看護師さんたちが三角マットを使って少しでも起こそうと取り組みを始めていました。僕はその施設の職員で、ひとりひとりに合った椅子を作るために東京の「でく工房」を離れて、リハビリテーションエンジニアとして勤務していました。
さっそく義肢装具士に相談し、その重い頭を支えるための特別の装具を製作してもらい、僕は頸にかかる余分な負担がないようにした椅子を作りました。少しずつ起こしていけるような構造にしました。
するとK君のお世話をするスタッフから、毎日のように「今日はここまで起こせたよ」と報告があり、ついに椅子に座って口から食事ができるようになり、その椅子に坐って散歩も行けるようになりました。当初、誰もそんなことができるようになるとは思ってもいなかったことです。
福祉用具の展示会では、こんなこともよくあります。特別に工夫されたバギーに子どもを乗せて押して来る母親に、「この車椅子に乗せてみませんか?」と声かけると、必ず「うちの子は手が全く使えませんので、車椅子は無理です!」と返ってきます。「ま、だまされたと思って、ちょっとだけ坐ってもらえますか」とダメ押しすると、半分くらいは怪訝そうな顔して、僕の言うことを聞いて協力してくれます。
すると不思議なことに、その使えないと言われていた手で小さな車椅子を動かせてしまうのです。最初は坐って下ろした手が車輪に触れたとたんに動いてしまうので、本人はビックリです。それを見ていた母親が、さらにビックリ。そして、すぐに何が起こったか理解でき、生まれて初めて自分の力で動けたという事実を体全体で表現してくれます。その子をその車椅子から降ろすのに母親は難儀します。
捜し物をするときに、そこにないんじゃないかなと思って探すと見つかりませんが、間違いなくそこにあるはずと思って捜すと見つかるという話と似てませんか(似てないか)?
光野有次

宮ぷーは奇跡じゃない、この回復を日常の医療にしてほしい。
かっこちゃんこと山元加津子さんにはじめてお会いしたのは、東京・芝での講演会でした。そのときに、宮ぷーさんの頭部CTを拝見し、その状況に絶句したことを思い出します。
にもかかわらず、宮ぷーさんが目覚しい回復を見せていることに驚愕し、”これは宮ぷーの強い意志とかっこちゃんたちの愛が引き起こした奇跡ですね”と感想を述べたら、それまでニコニコしていたかっこちゃんの顔つきがかわり、”これは奇跡なんかじゃありません。これを日常の医療のひとつにしてほしいんで
す。”と言われ、気持ちが引き締まる思いがしました。
宮ぷーとかっこちゃんが起こした奇跡、で終らせたら他人事で終ってしまう、そうではなく、常に自分に何ができるかを考え続けなければならない、と気づかされた強烈な一言でした。
宮ぷーさんの回復を当たり前の医療にするために必要なのは、患者さんへの愛情と支えあう人の絆だと思います。日本人なら出来るはずと信じています。
かっこちゃんの深い愛と気高い志によって実現したこの白雪姫プロジェクトを心から応援させていただきます。
◆2012/11/22 追記
宮ぷーとは初めてお会いしたのですが、肌つやの良さに私は驚きました。私を見るやいなやさっそく宮ぷーは一本指を動かして、“ようこそ、ながちゃん。ありがとう。おあいできてうれしいです。”とレッツチャットで歓迎の挨拶をしてくれたので、たいへん感激しました。
麻痺があってもはっきりとした意志をもっているのです。たかだか1週間前に、スノーボードの脳挫傷から回復した知人の医師と会っているだけに、”人間にはものすごい力が秘められている”、という思いが実感として私には湧き上がってきました。しかもその力を呼び覚ますのは生きる気力であり、その生きる気力を支えるのは周りの人に気持ちをわかってもらえることだと思います。
意志の疎通を図ることだけではありません。
山元かっこちゃんは、障害を持った子どもたちとのふれあいから、動かすこと、振動を与えることが運動機能の回復を助けることになると確信もしていました。そのために開発した患者さんの移動方法で懸命に自分ひとりで宮ぷーを車椅子に乗せ、車輪を押す訓練をしていました。
このような努力が回復を助けたことはまちがいないでしょう。
宮ぷーがここまで回復したのは「運がよかった」とか「若いから」である。それが私を含めた医療者の常識かもしれません。
しかし、我々はその常識を変える必要があるように思います。
人間の持つ力の限りない可能性をもっと信じてもよいのではないでしょうか。
~ 私たちは、「誰もが思いを持っていて、回復する可能性がある」ということが当たり前になっていく世界をめざします。~
この白雪姫プロジェクトの理念をここであらためて繰り返したいと思います。このような世界が実現したら、そこは、きっと優しさに溢れた社会であるに違いありません。
長堀 優(ながほり ゆたか)

命、体、魂は分からないことばかり
医者として、どうしても素直になりきれないところがあるのですが、命、体、魂は分からないことばかりであることは日々思い知らされております。
そしてそれらはとても素敵なんです。それらを大切にすることを応援します。
自分の力でなくて、私たちを包む大きな愛と力の存在が少しでも理解されれば、きっと、難しい病気や障害のための正しい治療法が見つかるはずです。
新原 豊

医学はもっとも科学的でない科学といわれます。同じお腹から生まれたマウスを使って薬物の効果を実験すると、毎回、同じ結果がでてこの薬物はこのような作用があると説明できます。でも人間では違います。同じ人が同じお酒を同じ量だけ、誰と飲むかで酔い方が違うことは誰でも経験してますね。あなたにあう風邪クスリは私には効果がなかったということもあるでしょう。ひとりひとり人間は違うのです。だから同じ治療をしてもみな同じ結果がでるわけではありません。医者は理科系かもしれませんが、もっと言葉を正しく使うべきです。
あなたのガンは治らないと医者から言われて、自力で治した方々をモンブラン、富士登山を通じてたくさん見せていただきました。治らないという医者は、『私には治せない』というべきでしょう。あとどれくらい? あの質問の答えもあてになりません。だってこんな川柳を作ったおじいちゃんもいました。
『お大事に いわれた医者に 先立たれ』
人はこの世での役割がある間はお迎えは来ない、そう確信してます。宮プーのような西洋医学では治らないと思われていた患者さんが、意識を回復しただけでなくちゃんとまわりの方とコミュニケーションができる状態にまで回復したのです。意識が半月以上ももどらない、植物人間になったといわれた小学校??の先生が、子供たちの励ましのテープを毎日聞かせているうちに、意識をとりもどし、子供たちの声は届いていたよと回復して語った患者さんもいました。映画『はやぶさ はるかなる帰還』の例もあるのです。
諦めない、村上和雄先生らが証明してくれたような多くの方の祈りもまた遺伝子のスイッチをオンにして回復への道が開かれます。人の力はまだまだ無限です。医師になって40年、それを多くの患者さんたちから教えてもらいました。
ひとり一人は微力かもしれません。でも無力ではないのです。多くの方の思いがそれには必要です。山元加津子さんがその総合指揮者になって、それぞれは自分のパートをしっかり演奏することがきっとすばらしいフィナーレを迎えることができると信じています。
2012年3月22日 日本笑い学会副会長(医師) 昇 幹夫

これまで6600社を越える中小企業の現場を見て歩いてきましたが、その中で毎年1回以上、必ず訪問させていただく会社が何社かあります。そのうちの1社に、川崎市に本社がある従業員数約70名の「N社」があります。訪問の理由は、N社が真に世のため人のためになるいい会社だからです。N社が、社会価値が高いという意味は多々ありますが、その1つが障がい者雇用への取り組みです。
事実、N社は、すでに50年以上前から障害者雇用に取り組み、今も従業員の約7割が障がい者なのです。「障がい者雇用促進法」の法定雇用率はわずか1.8%、しかも、日本の会社の約55%は法定雇用率以下であることを見ても、いかにN社が障がい者雇用に不来るから尽力しているかがよくわかります。
N社を訪問した折、必ずお目にかかりお話をさせていただく1人が「Hさん」という、今年68歳になる女性の社員さんです。彼女は50年以上前に養護学校を卒業し、今も第一線で頑張っているのです。
先日も機会があって訪問させて頂いた折、彼女に声をかけさせていただきました。「お母さんは元気ですか・・?」と。すると、Hさんは「はい・・、元気です。今年の秋には100歳になります。」と、はっきりとした大きな声で話してくれました。
8年前からHさんを存じ上げ、ほぼ毎年お会いしているのですが、Hさんの努力はもとより、労働と良き仲間たちの存在により、年々、障がいが克服されてきているのが良くわかるのです。
こうした「事実」を踏まえると、「どんな障がいや病気も決してあきらめてはいけない、負けてはいけない」と強く思います。
法政大学大学院政策創造研究科教授 坂本光司

稲葉俊郎
僕らは、色んな物事をとりあえず暫定的に定義する。
生きてるとはこういうもの、病気とはこういうもの、いのちとはこういうもの・・・。あらゆるものを決めてきた。
ある概念を狭く定義してしまうと、その定義の枠内でなんとか説明しないといけなくなる。無理やり理屈をつけて合理化してみたり、都合が悪いものは例外だと切り捨ててしまったりする。自分たちが作った狭い定義や決まりごとの中で、うんうんと苦しんでいるように見える。
そういうときは、「そもそも定義自体が狭かったのではないか」という前提に戻ってみないといけない。定義や決めごとは、時代時代に応じて、現場での新しい知見に応じて更新していくものだ。
医療を広く捉えてみる。西洋医学だけではなく、東洋医学や伝統医学や代替医療や民間医療を含めて。医学だけではなく、文化や芸術や歴史なども。ひとのからだやこころやたましいに関わる色んなものごとを射程に入れてみる。医療を広く捉えてみる。
対話というものも広く捉えてみる。人は言語だけではなく非言語でも、存在同士でも交流をしている。人間同士だけではなく、花や水や自然とも日々対話している。対話を広く捉えてみる。
いのちというものも広く捉えてみる。人は脳だけで生きるのではなく、60000000000000個の細胞の調和で生きている。いのちを動物や植物や細菌だけではなく、鉱物や雲や水や空や宇宙にも見出してみる。いのちを広く捉えてみる。
そうして広く定義すれば、説明がつかないものごとを無理やり合理化したり、除外したりする必要はなくなる。不自由になるより自由になる道を選択したい。
色んな歴史を学んでいると、そういうことを日々繰り返した末に、歴史や流れというものはできているようだと感じる。そうして、現在は未来にとっての過去になることを繰り返している。
すべてのものは、歴史のプロセスの中にいる
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この世界でよく分からないことは、この自然や宇宙から出された問題のようなもの。 そこには易しい問題から難解な問題まで、色々な種類の問題が準備されている。
人類はそうして少しずつ問題を解いてきた。 私たちが気付いていないだけで、自然は出し惜しみせずすべての手のうちを見せている。
ひとりで問題が解けなければ、みんなで協力すればいい。
探し物は、ひとりで探すよりも、みんなで探した方がいい。
難しい問題の答えが分からない時は、狭く世界を閉じたり一人で孤立して探すのではなく、みんなで協力して探し物を探せばいい。そこに優劣は必要ない。
近親憎悪と言う言葉がある。
近い世界同士の人は、どうも違いが目に映りやすく、相手を否定したくなる。距離が近いとぶつかりやすいので敵対しやすいだけだろう。
ただ、相手を否定することにどれだけの意味があるだろう。自分もOKだし、相手もOK。自己肯定は、他者を否定しなくてもできる。自己肯定は、他者肯定と両立できる。
地球上で一緒に探し物を探している人は、敵ではなくすべてが仲間。
地球上で解決しないといけない問題は、人類共通の探し物のようなもの。
探し物は、立場を越えてみんなで一緒に探せば、きっとすぐに見つかるだろう。


